ある蛇の物語

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きみは、蛇だ。
世界一醜い生き物だ。
世界一醜い生き物だから、あらゆる悪いことができた。どこまでも尊大で、自己中心的な行為ができた。それを論理的に諫めてくるものもあったが、股の間をすり抜けるか噛み付くかすると黙らせることができるのだった。
きみは、蛇だから、獲物は逃さなかった。誰にも悟られぬまま目標に近づくと、決して道を譲らないのだった。
きみは首を持ち上げる。あたりを見つめる。
考える。蛇になってからどれくらいだったか。わたしは、どれくらい生きただろうか。
わたしが人間であったころ、ときみは思う。
わたしは、どれだけ人に道を譲ったことか。
わたしの人生に侵入してくる人々にどれだけ介入をゆるし、わたしの怒りを、反発を、意思をどれだけ抑えつけ、まわりに迎合したことだったろう。
わたしは、脱いだのだった。皮膚を、人間の皮膚を。

きみは、するすると器用に樹に登る。枝にからだを巻きつけると、午睡へゆるやかに落ちていく。
沈殿していく意識のなかで、考える。わたしはどれだけの人を傷つけただろう。わたしが噛み付いた人々は、わたしが威嚇した人々は、わたしがすり抜けた人々は、どれだけわたしのことを思ってくれていただろう。
きみは蛇だから、こころのいたみを失いつつあった。その最後のひとかけらが、疼くのだった。
わたしは今、果てしなく自由だった。わたしの道を阻むものはなく、わたしのこころを抑え付けるものはなく、どこへでも行けるのだった。
しかし、ときみは思う。
なぜこんなにも不自由が恋しい?

 

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きみは夢をみる。きみには、一人の仲間がいる。利害が一致した仲間。同じ方向に進んでいるから一緒にいるだけ、しかしその気楽さと志の一致が、不思議な友情を生み出していた。
ある晩、きみは打ち明ける。
なあ、一緒におれと来てくれないか。
答えは否だった。お互い、偏った者同士、片方が道を譲ることは、そちらに負担を押し込めることを意味した。
100回シミュレーションした答えに、しかしきみはやっぱり深く深く傷つき、

ここで夢は覚める。

きみは夢見る。
誰か、わたしについてきてくれないか?
それはあまりにも身勝手な願いだと分かっていた。正直言って、ひとりはくるしいんだ。柄にもなく、弱音を吐く。
聞いているのがカシの葉だけでよかった。
首を持ち上げて、空を見上げてみる。
藍の背後に紫の覗く、吸い込まれそうな夜空だった。月もないのに星のひかりは煌き、からだを白く輝かせている。

そうか、ここくらいがちょうどいいのかもしれないな。
きみは思う。
カシの樹の上、煌めく夜空。心残りはない。哀しむものもない。もう十分だ。
きみは、太い枝に体をそっと横たえる。
願わくば、来世ではもうすこしマシな人間になれますように。
きみは眠る。
眠り続ける。